味覚もまた発達途上で、微妙な味の差は感じ取れないらしい。甘いと塩辛いは識別できる。一方、酸っぱい、苦い、辛いは、なんとなく不愉快な味として敬遠する部類に入るが、実はあまり感じていないようでもある。山の味覚として、桑の実、サクランボ、キイチゴなどは好んで食べる。赤い実がおいしいと知ると、味のないヘビイチゴも「おいしい」と口にする子も多い。
思い込みは大きい。おとなや年長児が「おいしい」とうれしそうに食べるのを見ると、食べなきゃ損とばかりに食らいつく。ムカゴをかみしめて「元気になった」と言えば、空腹を満たすのに役立つと真似をする。漂流してきた海草の実もつまんで食べる。海水を指につけてなめ、「あまい」「すっぱい(しょっぱいのこと)」。スイバ(土手のスカンポとも呼ばれる)の茎の酸っぱい汁を吸って、のどの渇きをいやす。
かすかな味も好む。春先にヒメオドリコソウの数ミリの花の根元の蜜を吸う。気に入ると、手あたりしだいに花をむしって味わう。
食べられると知ったとたんに何でも口にする子と、母の手づくりの食べもの以外一切口にしようとしない子との経験の差は大きい。しかし、食わず嫌いの頑固な子も周囲に影響されて、だんだんに適応し、口にしてみるようになる。幼いころにたくさんの味を知れば、その後の人生の厚みにも影響するだろう。
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